『逃げ水』の歌詞、"逃げ水"のウィキペディア説

逃げ水とは、風がなく晴れた暑い日に、アスファルトの道路などで、遠くに水があるように見える現象のこと。

コンテンツに生きる 〜または私は如何にしてアニメを観るのを止めて坂道に身を沈めるようになったか〜

2022年も終わりに近づき、地上波のゴールデンが歌特番にレコンキスタされ「飛鳥ちゃん卒業シングルは初見こそ涙が止まらなかったし白石麻衣の卒業シングルに比べればマジで良曲だけどい加減聞き飽きてきたな」と感じ、多方面で開催されているライブやら特番やらにて演者のMC内での発言や劇中の演出に取って付けたように挟み込まれているクリスマスの断片になんとかして恒常性を排しあたかも無二の時間を共有していると錯覚させようとする運営の企業努力を見て「そもそもクリスマスって存在しないんじゃない?」という疑念を抱くと同時に、Dr.コトーは曲が良かったからあんなに人気を博したんやろなぜなら内容なんて誰も覚えてないのだから銀の龍の背に乗ってが流れるなか大海をバックに自転車を漕ぐシーンしか覚えていないのだからというか竹内まりや中島みゆきの曲はもう一生この世に残るんだろうなという確信を得た今日この頃、今年の締めくくりとして「なぜわたしの前にはいま、齋藤飛鳥の文字が踊っているのか」をここで一度精査しておこうと思い、久方ぶりのブログ更新と相成りました。これ以前に途中で燃え尽きてお蔵入りになった記事がいくつもあるので、今回は最後まで書き切りたいですね。頑張るます。

 

 

今年は悲しいことがたくさんありました

 

 

さて、上記表現では伝わっていない可能性が多分にあるため本稿の主旨をもう少し高解像度で説明すると【アニメを観なくなったのはまだわかるがとはいえなぜ乃木坂(坂道シリーズの総体という意)だったのか】を可能な限りニュートラルに分析するという話です。したがって、大まかな流れとしてはまずアニメを観ていた時代は結局なにを求めていたのかを明らかにし、そのうえで乃木坂がガッチリハマった要因を考察していこうと思います。

 

 

 

 

 

 

1.アニメから離れるまで

1-1.アニメを観なくなった理由

なぜアニメを観なくなったかという問いに関しては、すでにかなり明白な答えを持っています。一言で言えば、オタクにとって喜ばしい作品(プランクニゾマイ)が少なくなっていったから。超上からな発言ですがご容赦ください。ではこのオタクにとって喜ばしいとはどういうことか。個人的な見解になりますが、オタクがなにを面白いと感じるかってとどのつまり細部の設定なり詰め込まれた小ネタだと思うんですよ。これは持論を振りかざせる余地とは少々異なりもっとシンプルな話で、型月を例に挙げればメルブラで「シオン・エルトナム・アトラシア」だったキャラクターが、FGOでは「シオン・エルトナム・ソカリス」になって出てきたとかチョー面白いじゃないですか。他にも(アニメではありませんが)TRICKで言うと「ウヌャニュペェィギュゥリュ星人」とか「長野県蝨郡蛾眉村字虻」とか「しっぽ茶」とか、会話中にその単語を放り投げるだけで大爆笑できるような小ネタとかオタク大好きじゃないですか。らき☆すたなんて全部のネタ拾おうとしたら無限に知識を要求されるわけですし、コミケのときに買い出し要員のオタクのことをファンネルって呼称したりするのってそういうことだと思うんですよ。要するに、かんなぎのOPであるところの戸松遥の「motto☆派手にね!」は実は中山美穂の「派手!!!」って曲が元ネタ、みたいな表立ってない知識がオタクは好きなんだよねという話です。たしかに新海誠作品も面白いことには間違いない。ただしオタク的に刺さるかとかと言われれば、そこまでではないような気がしてしまう。前作のヒロインがサブキャラで登場するシーンよりも、これはゾンビですか?でサブヒロインが唐突にアルコールランプでスルメを焼き始めるシーンの方が数十倍好きです。

 

 

プランクニゾマイの例

 

 

また作品の周縁に視点を移すと、ヤバいオタクがいなくなったということもアニメを観なくなった理由のひとつとして挙げられると思います。往年の「フォカヌポゥコピペ」や「柳田國男がレビューするアマガミ」みたいに、明らかに常軌を逸しているオタクが出てくるような作品って昨今まず見ない。あれこそ、知識に知識で対抗する面白さを教えてくれる代表例だと思いますし、いわゆる「お前らとは違うんだよ」というオタク的な気概を上手いことオルタナティブに表現していたなと思います。昨今はオタクという言葉も延いてはアニメという言葉も輪郭が曖昧になってきていますが、線引きをするならばこういうところ、つまり、知識でしかコミュニケーションが取れないなりに奇抜なエンタメ性を持ち合わせる(あるいは持ち合わせた)ことで絶妙に社会に適合している人種がオタクなのではないかなと。

……というかもっと言えば、オタクの前提条件さえ今や変わってきてしまっていると感じるんですよね。昔は基本的にどのオタクにも知識量がある奴の方が上に決まっとるやろという意識みたいなものが確実にあったと思います。しかし先日、四つ下のそこそこアニメ見ているオタクと会話していたとき、自分が好きならそれでいいんじゃないかと言われ「150パーセントお前が正しい」としか返せませんでした。そこで気づいたのですが、たしかに同期のオタクの中にもその他大勢タイプ(コンテンツを斜めに捉えないタイプ)って何人かいるんですよね。それで周りのサンプルを比較していって判ったのですが、結局これって周りにディープな先人たちが居たかどうかで決まってくるのだと思います。僕自身も最初にアイマスに触れたときに部活の先輩からさまざまな啓蒙(とりあえず箱マスとSPはマストでプレイしろ等)を受けたことがきっかけで、結果どのコンテンツに触れてもとりあえず最深部までは手を突っ込むようになったわけなので。

 

最後はかなり話が脱線しましたが、とりあえずアニメを観なくなった理由としては以上二点が大きな理由かなと思います。ちなみにアイマスに関しては、コール問題なり男キャラ問題なり、随所でモヤモヤする機会が多くなって疲れたからというのが一番大きな理由かなと思っています。

 

 

1-2.そもそもなぜアニメを観ていたか

ここでそもそもアニメ、あるいは両足をどっぷりと浸けていた特定のコンテンツに対して結局なにを求めていたかを整理しようと思います。また実際には、他にも18禁ゲームなり声優ラジオなり同人媒体なり色んなものを摂取していたわけですが、面倒なので一括りに『アニメを観ていた』と表現します。

さて、観ていた理由となると少々難しくなります。なぜなら理由なんてないのだから。なのでとりあえず真剣にアニメを観ていた時代から今日に至るまでのスタンスを大まかなフェーズに分けて、それぞれどういった背景があったかを端的にまとめてみます。

 

第1フェーズ(オタク黎明期):

 流行ってた。みんな観てた。アニメ(2次元コンテンツ)に最も勢いがあった。

[解説]

今思うと世間的にアニメというものが日陰からちょっと顔を出してきた時期がちょうどこの辺だったのかなと思います。社会がオタクに優しくなり始めたというか、「そういうのもあるよね」みたいな空気が出来始めたというか。ラノベが社会的に認知されるようになってきたくらいの時期ですね。なので(中高一貫男子校という環境もあって)そういうのが流行ってるのかと足を踏み込むことになったわけです。で、実際観てみたら面白かったと。

 

第2フェーズ(オタク全盛期):

 マウントのために観ていた。一番楽しかったし、一番金と時間を使った。

[解説]

あらゆることに全力だった。前述したとおり、古きよき先人達が周りにいたことも作用して、ひたすらに密度の濃い時間を過ごしていました。如何に効率よく知識を溜め込むかに心血を注ぎ、『アニメ(字義)の見方』『エロゲの使い方』『ライブのこなし方』『コミケの攻略法』等々、どっこにも応用することのできない力をほぼ上限値まで培うことに。

 

第3フェーズ(限界効用逓減期):

 飽きた。これ以上消費しても有益な情報は得られないというくらい一生分観た。アニメを観終わった。

[解説]

自分が興味を持てる範囲において観ていない作品がシンプルに合わないやつか、見方がわからないやつ(ガンダムなど)だけにほぼなり、そのうえ新しく入ってくる作品が白湯のようなものばっかりになったため、ローラー的にアニメを消費するスタイルから、ある程度厳選して消費する(純粋に自分が面白いと思うものだけを観る)スタイルに切り替わりました。それこそアイマスとか型月とか。提督業は引退しました。

するとその結果、余剰となる時間ができるわけですよ。そこでなにをしたかというと、映画なりドラマなりお笑いなりを結構観るようになったんですね。一般庶民の家庭なので小さい頃からテレビだったり映画だったりを観る習慣はあったので、そっちの割合が増えたような感じです(あとはサークルとか飲み会とか彼女をつくる以外のことをそこそこ楽しむように)。この辺りからアニメもまぁ面白いよねみたいな思考になり始めたように感じます。生き急いでたつもりはまったくありませんが、要はそういうことなのか?

 

第4フェーズ(齋藤飛鳥):

 要約すると丸くなった。

[解脱]

丸くなりました。(詳細は後述)

 

以上が大凡のオタク的人生変遷になります。ではこれを俯瞰しながら、いったい自分がアニメになにを求めていたのかを追究していきます。

まず前提としてコンテンツが好きというのは間違いないです。それも奥行きと幅のあるコンテンツです。ここで奥行きとは、メタ的な意味合いでの厚み(設定や小ネタの密度、作品としての歴史など)がどれくらいあるかというニュアンスで、幅とは多様性(派生物、消費媒体の多さなど)がどれくらいあるかというニュアンスです。ここで重要なのはこれは必ずしもメディアミックス系の大型コンテンツとイコールではないと言うことですね。どういうことかというと、基本オタクは他人が好きなものは嫌いです。そこで差別化を図るために「俺はこういうところまで知ってる」「俺はこういう風に捉えている」というスタンスになるわけですが、これは幹が太くても枝葉があまりない作品には通用しません。要は「ダンシモンズの影響がですねwww」とか「や、disillusionではなくTHIS ILLUSIONなんですが」とかが言いたいので、奥行きと幅がある上である一定のわかり辛さも孕んでいてほしいということです。ここで言うわかり辛さとは、内容そのものの理解が難しいということだけでなく、そのコンテンツ上にあるものをすべて理解するとなるとめっちゃ難易度が上がるみたいな意味です。アケマスのロケテストとか、遠坂凛の怪しいドイツ語とか、なんであれ俺だけが知ってる(と思い込めるような)状態になりたいんです。

しかし、そういう味のある作品は実際数が少ないので、消費しているうちに徐々に枯渇していきます。だから弾数を増やすためにアニメを観るわけです。つまり、全盛期に熱心にアニメを観ていた理由は、純粋にアニメというものが好きで面白いと思っていたから、どんなアニメも知っているという称号を得てマウントを取りたいから、というのももちろんありますが、一番は類似したコンテンツを見つけたいからです。これはアニメを観終わりもはやマウントを取る必要もなくなった第3フェーズ以降、顕著にそう思うようになりました。

 

さて問題はここからです。ではなぜコンテンツが好きなのか、そこに何を求めていたのか。断言します。それは情報ないしは知識です。前述したような味のあるコンテンツというのは、一つの枠組みの中に数多くの情報を含んでいます。なので手当たり次第に1クールのアニメ(字義)を観たりするよりも、知識の吸収という点においては遥かに効率が良いわけです。

となると今度は、なぜそこまで知識を欲しているのか。無論、何度も言うようにマウントをとるため……だけではありません。正直これは言いたくないのですが、そもそもの話、オタク以外の人たちが普段どうやって生きているのか、もっと言えばどうやって時間を消費しているのか、自分はわかりません。本当に想像がつかないわけです。すなわち知識を欲しているというよりかは、人生における時間の消費の仕方として知識を仕入れる以外の手段を知らないから、結果的に情報の詰まっているものを探してしまう、ということです。ちなみに先ほどから知識知識と連呼していますが、あくまで趣味の範疇の話ですので、ここでは高度な専門性を有するアカデミックなものというよりかは、疲労を溜めることなく手軽に取得できるジャンクフードという意味合いで使用しています。ただこれは、逆に言えばアニメでなくともいいということも同時に意味しています。とにかく、ある一定の枠組みと密度さえ担保されていればいいわけです。枠組みがないと、結局俺はどこまで知ればいいんだ?となってしまいますからね。

そしてもうひとつ、知識を欲する理由があります。それは新たな知見獲得のためです。当然ですがこれもそんな高尚な意味ではありません。前述したオタクの二大基本スタンスである「俺はこういうところまで知ってる」がシンプルに知識の数量に依存するのであるならば、「俺はこういう風に捉えている」は知識同士の掛け算に由来します。よくオタクの会話中に出てくる「え、それって◯◯じゃん」はまさにこれであり、オルタナティブであるため、エンタメ性を創出するためには欠かせない要素だと思います。まぁ要するにオタクのしょーもない戯言なのですが、伝わっていない方のために例を挙げておきます。

 

【命題:菅井友香はなぜあの欅坂46で永らくキャプテンが務まったのだろうか】

菅井友香の実家はマジのやんごとなき御家である

菅井友香学習院出身である

学習院は皇族も通われるような大学であり、そのうえ時期的に佳子様も在学していた可能性が高い

④欅坂は公式がいじめがあったと認めるくらいには、そんなに育ちのいい子がいない

■推察:これつまり、ノブレスオブリージュだったのでは?

 

仲がいいらしいです。(出典:テレビ東京「欅って、書けない?」#78)

 

というわけで、以上をまとめると次のようになります。

 

・アニメを観ていたのは、コンテンツを探していたから

・コンテンツが好きなのは、知識の仕入れ先としてもっとも効率がいいから

・知識を仕入れたいのは、

  [根本的に]時間をそれでしか消費出来ないから

  [基本スタンスとして]マウントを取りたいから

  [基本スタンスとして]オルタナティブでありたいから

 

これでようやく前置き部分が消化できました。長くなって申し訳ありません。

それではこれらを踏まえた上で、次項よりようやく乃木坂について考えていきます。正直もう答えは出ていますが(乃木坂はコンテンツでした)、プラスアルファの部分がかなりあるので書きます。

 

 

2.なぜ乃木坂だったのか

2−1.きっかけ

1年前の秋頃、高坂麗奈から電話がかかってきました。

黄前久美子「もしもし」

高坂麗奈「乃木坂工事中って知ってる?」

黄前久美子「あまり」

高坂麗奈「ちょっとこれ、コンテンツっぽいんだけど」

黄前久美子「嘘でしょ」

 

きっかけ(2ndアルバム「それぞれの椅子」リード曲)

 

2−2.本当にコンテンツだった

はじめに見たとき、大量の情報が浮かんでいると思いました。嘘です。単純に面白いと感じました。前項で語ったように、坂道に触れる直前はアニメを観る代わりにYouTubeでお笑いだったりRTA動画だったりと、とにかく手軽に笑えるものを摘んで観るような時期で、自分の中でアニメの立ち位置がかなり相対化されていたので、視聴にあたってそこまで敷居は高くありませんでした。これまではアイドルというとどうしても世代的にAKBのイメージなので、なんというか「やっぱりドロっとはしている」「ゆうて茶番やろ」みたいな先入観があり、相容れないものとして捉えていたのですが、乃木坂(乃木中)に関しては「普通にこれバラエティやんけ」とスッと入ってきて、それまでの日々の延長として捉えられたという感じです。特にMCがバナナマンなのが本当によかった。ねるとんをはじめ随所で観てきた人たちだったので。恐らくこれがメンバーだけで回すような建て付けの番組だったら、かなりしんどかったように思います。

さて、明確にこれをコンテンツだなと認識したのは乃木中を観始めて1週間くらいしたときでしょうか。正確にはコンテンツとして認識したというより、無限に掘削できると確信したですね。以下にその理由を述べます。

 

ちょうどいい量だった

まぁまずはメンバーと番組数の多いこと。10年やってるから当然なのですが、しかしAKBに比べれば非常にシンプルな構造なので全然処理できる。先ほどから「いいから大量に知識を寄越せ」と言い続けていますが、実はこれまったく面倒なことに多過ぎてもよくないんですよね……。ガンダムみたいに「これはどこから手をつければよいのですか?」となってしまって。だから手を出せた要因として、内容量的にちょうどよかったというのは存分にあると思います。

 

一枠で収まった

1−2で敢えて書かなかったのですが、知識以外にもコンテンツに求めていたものはあります。あくまでも自分が求めていたものという観点からの推論ですが、コンテンツから抽出できる要素は大きく分けて『物語』『かわいい女の子』『エンタメ性』『知識』の四つなのではないかと。そして、乃木坂にはあろうことかこのすべての要素があったんですよね。野暮ったいので全部は説明しませんが、例えば『今一番勢いのあるアイドルグループこと日向坂46を人にきちんと説明しようとすると、欅坂46と同グループ所属の長濱ねるおよび平手友梨奈という個人の話からしなければならないし、欅からの独立宣言が公布された時に体裁を気にせず大喜びしたメンバーと目が死んだメンバーがいる』みたいなオタク的に刺さる脚本・設定がいっぱい用意されていたってことです。

そして何より最も重要なのが、前述したようなこれまではアニメとは別枠として消費していた諸々までをも手広く内含してくれる枠組みだったことです。これにより、同じ見方・ルーティンですべてを消費することが可能になりました。

 

弾数が多かった

②とも少し被りますが、枠が広いがために弾数が素晴らしく多いです。また日向坂の話になりますが、冠番組における企画の内容や挿入されるテロップはもはや『らき☆すた』レベルの小ネタです。メンバーが出ている外番組から全く関係ない大昔のバラエティ番組・芸能人のトピックスまでふんだんにネタが盛り込まれているため、懐かしさを覚えることもあれば「あ、それも知っとかないといけないんだ」と新たな指針を受け取ることもあります。おかげで自ら開拓する労力がオタク全盛期の半分くらいまで減りました。

 

かわいかった

AKBの某番組で乃木坂が『顔面偏差値ルール違反アイドル』と紹介されていましたが、ソニー資本力に裏打ちされた乃木坂はマジですごいです。しかしここにおける本質はそこではありません。1−2の第4フェーズで丸くなったと表現しましたが、要するにこういうことです。

 

現実にいる女性を見て素直に可愛いと言えるようになった。

 

 

 

 

3.総括

というわけで今回は2022年の総決算として、自身のオタクとしての半生を要約する試みを行いました。半年ほど前からなぜ坂道がイケたのかと不思議に思っていたので、いい機会だったなと思います。しかしながら、当初は打算的に好きなものを移行させたのかとも思いましたが、むしろ昔とまったく同じことをしているということがわかり、良かったのか悪かったのかなんともといったところです(よくはない)。兎にも角にもコンテンツを斜めに捉える人種なら、テレビを観ていた土壌はなくとも乃木坂はきっとハマるでしょうね。今のところ自分と同じようにアイドルを観ている人間は2人くらいしか知らないので、私もという方は是非ともご応募お待ちしております。抽選で4名様(性別・犬種は問いません)に『徴兵で行くイエメン〜7泊8日の旅〜(女子旅プラン)』の申し込み優先申し込み券を製品お買い上げ時にお渡ししたシリアルコードに印字して郵送いたしますので、絶対に無くさないようお願い申し上げます。なお紛失・盗難・溶解された場合は、恐れ入りますが番号をお確かめのうえ、いま一度音声ガイダンスの手順にしたがって平日午前10時から午後5時までの間にオペレーターにお繋ぎいたしますよう何卒よろしく御審議の上、来年に於かれましては謹んで益々のご発展を心より心身ともにお祈り申し上げ度、茲に上程致します。