『逃げ水』の歌詞、"逃げ水"のウィキペディア説

逃げ水とは、風がなく晴れた暑い日に、アスファルトの道路などで、遠くに水があるように見える現象のこと。

美麗純粋に登り詰めるアイドルと、平凡なオタク

どうも。すっかりこのブログは化石になっていました。

 

さて、以前から言っているように「天空アイドルにハマったフリ」をしています。

最近では夏のツアーも終え、あんま話題出ないけど次は案外近くに上海ライブを控えてるんですよね...

乃木坂の話です。そういえばAbemaTVで「いや、ただの有給休暇じゃないか...」とツッコミたくなる企画が発表されていましたね、そのくらいの緩さでいいんですけど。世界ツアーとかやっても、曲が日本語な時点でアレですね。とはいえ、ドルオタは目の前で推しが生きてれば万事OKっぽいので大丈夫かもしれない。いやでも曲が日本語というのはやっぱり弱い、世界展開しようにもできない。結局曲ありきのものだと思うので、最初はノレても2時間強も全く知らない言語で歌われると厳しいですからね。

 

そろそろタイトルを回収します。アイドルという存在の美麗で透明な重さに押しつぶされかけました。美麗で透明な重さ、美麗で透明そうですね。実際はかなり辛かったので今回はそのお話です。

ひとことでまとめると...「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」ということです。ちょっと違うな、どちらかというと「少年野球しかやっていなかった人間にプロ野球選手の苦しみは分からない」の方がより正確かもしれません。

 

ドキュメンタリー映画のお話です。もうそろそろ、さすがに公開終了ということで内容に触れてもいいだろうと。

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一生これにはなれないんでしょうか

泥酔したおっさんの戯言のようなタイトルです。筆者も確かに何回か泥酔して「いつのまにか、ここにいる」状態になったことがあります。いやしかし、言い得て妙。凄まじいタイトルだなぁ...やっぱり一番大事なのは言葉ですね。

内容を簡単にまとめると、まとめられない。当初は強いメンツの卒業ドキュメンタリーだろうと思っていましたけど、少し違った。正確には強いメンツ「達の」近況まとめです。ここはもう、仕方ないです。商業なので。「アイドルグループは同人活動ではない」、と唱えると大抵の理不尽っぽい何かは解消されます。

 

とにかく乃木坂内の絆、みたいなものがクローズアップされていましたね。年頃の女寄せ集めた集団なんて裏でリンチまみれに決まっている、と考えるのが世の常ですが本人達曰くそうでもないらしい。本人達がソースなので当然疑うわけですが、これ以上詮索の手段がないので、とりあえず信じるしかありません。

 

曰く、「毎日ずっと一緒で、何をするにも、苦しい時も、楽しい時も分かちあってきたし、自分たちが成長していく様子をお互いが感じあっていた。」らしい。ここら辺のシーンまで来て「ん、まずいな...何かがまずいぞこれ...」と、映画館の席でなり始めるわけです。

 

違和感の正体は「自分の人生に、こんなもの無かった...」という至極単純なものでした。人間そうするフリはできても、結局のところ自分の知覚が及ぶ範囲でしか物事は考えられません。

さすがに7年以上、共に上を目指してきた仲間は残念ながらいない。中高の部活くらいですか、一番長くて濃かったのって。でもあれだって24時間フルタイムで部活のことを考えていたわけではないし。

社会人になればこれ分かるようになるか?と一瞬思いましたが、否。今のところ会社とかは「そうしないと仕事が回らないので」あるいは「そうしておけばとりあえず給料が貰えるので」一緒に頑張っているようにしか思えません。ゆえに、社会に希望など持てないのですが。

 

他方、画面の中の彼女達は少年漫画のように純粋なエネルギーを持って爆速で何かを駆け上がっている。いや、実際わかりませんよ。写ってないところでえげつないことがあるかもしれないし、中にはもう全てを諦めている人間もいるかもしれない。

ただ案外、インタビューされている人間の言っていることを脳内で整理すると、方向性が一致している。ということはきっと、同じ方向を向いて、純粋に頑張れているんでしょう。

ここで一つ注意ですが、世の中には重箱の隅を綺麗に擦ってくる人間がめちゃくちゃいます。もしかしたら、相対的に売れていないメンバーはかえってこういう純粋さに苛立っているかもしれない。しかし、それはもう知りようがないので。何らかの形で繋がって、直接訊いてくれという。オタクでいる以上、とりあえず与えられた情報をぶん回して濾過するしかないのです。

 

 

翻って、なぜこれが「まずい」のか。これは単純に筆者の面倒な性格のせいです。少しの嫉妬心と圧倒的な劣等感が襲ってくるわけです。実際、人生は上を目指した方が良いに決まっています。上から景色を見れる人間は、試しに少しだけ下山してみることは出来ますが、下からしか景色が見れない人間は、上の景色を知ることができないだけでなく、そもそも登山をする能力がないので一生程度が低いまま終わってしまうわけです。

低学歴が「世の中は学歴じゃない!」って言っていても「?」となってしまうのと概ね同じです。別分野で圧倒的に成功していれば別かもしれないけど。

実際100点を目指しても80点しか取れない人がほとんどなわけですし、とりあえず上をひたすら目指していれば本当に行きたい脇道も見えてくるかもしれないわけです。

 

ということで超純粋で透明なエネルギーを持って、バリバリと登り詰めている彼女達に、一抹の劣等感が生まれるわけです。と共に「これはもう分かったフリをしてはいけないな」となるわけです。

アイドルのつらさとか、きつさとか葛藤とか、オタクはすぐ「分かりたがり」ます。しかし、実際そんなことはできない。

人間、普通に生きてれば途方もない無力感や絶望感に襲われることなど無いはず...入社案内で中堅社員の苦労話とか読んでも「え、でも結局なんとかなっちゃったんでしょ?お前は現に今も働けるほど健康なわけだし」となるわけです。

他方、アイドルは広義に商品であり、ほとんどの場合は代替可能ですから(その演者のオタクにとっては代替不可能である場合がほとんどです。でも、実際は代替可能であることを認めなくてはいけません)、克己せねば堕落していくのみ。運営に推されれば、また別のお話ですけどね。ただあれも、結局は妬みから来る言葉に過ぎません。

 

そんな状況で登り詰めていくアイドルを、平凡な人生を生きてきた人間がどう理解できようか。いや、できない。

 

ここで結局故事成語であるところの「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」が出てくるわけです。燕雀である我々は、鴻鵠である彼女たちの心情など絶対に想像がつかない。そう思うと、これからどうドルと向き合っていけば良いのかなぁ...となりませんか。

 

 

さて、こんなことを途中から思いながら見ていた映画は...実は案外楽しかったわけです。とんでもなく美麗に登り詰めていく人間をとりあえず一旦参考にできる。そこそこ良い教材を見つけた感覚がするわけです。

アイドルは理解しようとするとその圧倒的な何かに押しつぶされそうになりますね。「なんか顔の良い女がすげぇ並んでるなぁ、オランダの風俗みたいだ。」くらいがちょうど良いかもしれない。

 

毎度毎度、結論がない。結局のところ、オタクが映画を見に行ってアイドルに勝手な劣等感を感じて映画館から出てきただけになってしまった。

 

 

執筆者:ぐりーん

 

P.S.) ここのところ本当にアイドルブログみたいになってきたので、そろそろ投稿に多様性を持たせたいですね。